Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

具合が悪くなり学んだこと

 

久しぶりに具合が悪くなって、学んだことが沢山あった。

 

「生きる」について深く悩んでしまったのも本当に久しぶりのことだった。

 

自分の記録も含め、綴ろうと思った。

 

 

 

情緒

不安定になると蘇ってくる過去の記憶たち。思い出してしまう、というよりは、鮮明に蘇るから不思議だ。頭の中が忙しかった。ずっとずっと、考えていた。私はきっと、口にできない思いが沢山あるのかもなぁ、と思うほどに。せっかくなので自分との対話を大事にした。自分の心と沢山お話をした。相槌は「それでいいよ!!」縛りで(笑)

 

「ごはん食べれなかったけど平気かな・・・。」「食べなくていいよ!」

「ずっとごろごろしちゃったけどいいのかな・・・。」「寝てていいよ!」

「掃除してなくて家が汚い・・・。」「そのうちできるからいいよ!」

 

本当にずっとこの繰り返しをしていた。自分で自分を許さないと、やっていけなかった。私は不安定になると必ず思うことがある。それは、自分と向き合ってきてよかったなぁということ。苦しいときは本当に苦しいのだが、そんな中でも自分の保ち方がわかっているだけで本当に生きやすかった。

 

記憶と闘う

癒えていないのか、傷ついたままなのか。どちらにせよ、傷は消えないと思って生きてきた。専門カウンセリングに行くべきだなぁと長いこと思っていた。でも本当にハードルが高すぎるので、相談電話にかけてみた。結果的には、一生利用したくないと思った。電話って、相手の顔が見えない分、気を付けなくてはいけないことが沢山あると思う。カテゴリーは違えど同じ支援職として本当にショックな対応だった。ある意味、勉強になった。(少し話がずれた)

 

人から受けた傷は、人でしか癒えないのでは。そう思うと、いやな気分にもなる。ふと、このタイミングで蘇ったあれこれを思うと、私は本当に必死に生きてきたんだなぁと感じた。26歳まで生きているとは本当に思えなかった、若かりし頃の私よ。

 

 

迷惑をかけてまで我を貫くべきか

反省するほど大事な人たちに迷惑をかけた。自分の気持ちをわかっているからこそ、余計に苦しいのだ。大事な人を大事にできない時点で、私的には底辺に行ってしまった気分だった。周りも周りで、忙しいのだ。色々あるのだ。何もないわけないのだ。だからこそ、自分でつらさの原因がわかっているに関わらず、必要以上に人に迷惑をかけてはいけない。本当に、がんばれ。大丈夫だから。私。

 

 

日常は幸せの集合体

朝起きれてしあわせ!洗濯もできる、朝ごはんも食べれて、余裕のある朝でしあわせ!遅刻しないしあわせ!仕事に行ってるー!すごい!しあわせー-!!帰り道でライン返してるーすごいじゃん!帰ってきて夕飯作ってるの偉すぎる!!しあわせだねー!えー!シャワーも30分くらいで浴びてえらいねー!しかもちゃんとベッドで寝るのね!しあわせだねー!!

 

回復して一日目は、本気でこんな気分だった。

日常生活を普通に送れるって、思ったより幸せなことだと思う。私たちには当たり前の日常は保証されていないのに、毎日が当たり前にやってくる気がしてしまう。だからこそ、失ったときに気付くものが人には沢山あるのだろう。

 

色んな事に時間がかかった。体もうまく動かなかった。いつもの日常に感謝した。自分の健康体にも同じくらい感謝した。ちなみに、シャワーを浴び続けてしまって1時間半以上毎日浴びていたら、水道代が5000円台になってしまい引いた。ずっと3000円台だったので顕著すぎてさすがに引いてしまった。これは裏話なのだが、引きすぎて言いたくなってしまった(誰

 

 

それでいいんだよ

つらくてもいいんだよ。泣いてていいんだよ。だってあなたは闘っている。だってあなたは充分闘ってきた。立ち止まって辺りを見渡して。大事な人と手を繋いで。それだけで生きていける。あたたかさを知れば、あなたはもう冷たくなれない。大丈夫。もうあなたはあの頃のあなたではないよ。今を生きているよ。大きく息をしているんだよ。

 

 

そんな言葉を自分自身に贈りながら。

皆さまいつもありがとうございます!!今日も読んでいただき感謝です。

 

 

また、描きます。

 

 

 

 

CHIHIRO