Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

「もっと泣いていいんだよ。」

 

「なんか、泣きそう。」

 

そう言って会話中に突然泣いてしまった。

 

 

私は、自分が思ったよりも疲れていることを随分と長いこと放置していた。

なんで疲れているか考えると、理由は色々出てくる。あれもこれも、山ほどある。それでも重要なのは理由ではなかった。

一番重要なことは、それらを溜まりに溜めて突然泣くほど自分という存在を飲み込んでいたことだった。

 

 

 

 

ささくれに敏感であれ

人の痛みには敏感なのに、自分の痛みには鈍感だった。なんとなくいつもと違うな、と思うことは沢山あった。今になって振り返らなければ気付けないのだ。

 

人一倍繊細なのに、その繊細さが逆に出てしまうことがある。「もっとこういう言い方すればよかったかも」と他人に対する反省をよくするけれど、一番傷ついたのは誰だろうか?紛れもなく私なのに。私は私のことを心配していなかった。大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言って話を逸らした。

 

こころや体にできたささくれは、やがて大きな傷となる。ささくれが小さいうちに吐き出すことだ。吐き出すことは、感情の波を穏やかにしてくれる。いつだって波が荒立っている時は、私の疲れやしんどさはピークだ。波を穏やかに過ごすために、私は小さな不安を人に吐き出す練習をしたい。

 

飲み込んだ話を出そう

気の使いすぎはNGだ。でも私は時に人を優先しすぎる。だから自分の不安を吐き出すよりも相手の迷惑を考えてしまう。

人のことを100%理解するのは近いパートナーでも難しいだろう。でも、本当に私は理解されたいのだろうか?極論、理解されなくていいのだろう。この状況や感情を知ってもらうだけでいいのだと。

 

気を使いすぎているから、少しのヘルプや手助けは喜んで受け取ってもらえるともう信じてしまうことだ。「今つらいから」って一言言うだけで自分を守れると思うと気が楽になる。

したい話はその場で、今、してみよう。話をするだけでいい。言葉を発するだけでいい。「つらい話をするんだ」と自分でハードルを上げることはない。

 

あなたが飲み込んだその一言は、口に出したら意外な言葉が返ってくるかもしれない。

 

周りにも聞いてみる

この一ヶ月間、なんとなく周りからの連絡が多かった。その頻度をあまり気にしていなかったが、「いつでもラインしていいんだよ」と言ってもらえたり、「少し時間あるから電話しよー」と他愛もない雑談をしたり、「なんでもいいから話聞くよ」とゆるい言葉をもらったり。母が「こうしてみるといいかもよ〜」と押し付けでもアドバイスでもない、気晴らしみたいな話をしてくれるのもなんとなく気持ちを保てた。

 

自分が大丈夫かわからないときは、もう周囲に聞いてしまった方が早い。自分を思ってくれる人はこんなにも沢山いるんだと実感したら、また泣けた。

人から見た自分が、自分が思うより大丈夫じゃない時は、ある。そしてそんな時に強がらないこと。話をしたい時は、する!傷ついている時は、公表してみる!私が「大丈夫なんで、いいんですよ」なんて言わないように、自分とも小さな約束をしてみる。

 

自分との小さな約束を守る

「今日は美味しいもの食べよう」「明日の朝は寝坊していいよ」「今日はこっちの道から帰ろう」なんでもいいから、自分との小さな約束を守ろう。だって疲れているんだから。自分の気持ちを大切にした方がなんだかよさそうだ。

「つらい時は無理に大丈夫と言わなくていい、笑顔を振りまかなくていい」

自分を大事にする、自分を愛す、と掲げなければこんな悩みも生じなかった。この悩みももっと漠然としたものだっただろう。

いつもニコニコしなくていいのだ。感情を出していいのだ。

 

今、つらい自分を受け止めること。認めること。肯定すること。そして、許すこと。

泣いたって、いい。

 

最終的に、そんな私も私でしかないのだから。

 

 

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素敵な夜をありがとう。友人の「もっと泣いていいんだよ。」その言葉にわんわん泣かせてもらった。いつもありがとう。力抜いて、ラフにいこう。おやすみなさい。

 

 

 

CHIHIRO