Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

夏、過ぎていく季節と記憶

 

夏が過ぎてゆく。

 

 

今年の夏は一瞬だった。

思えば、やりたいことを叶え、会いたい人に会いにいき、考えたいことを考え抜くような、贅沢な時間の使い方をした。当たり前だが、今という時間は思い出せても、戻ってはこない。感覚として私たちの体内に残ったとしても、それらを実感する日は悲しいことに、もうこない。

 

 

ずっと長いこと、夏の終わりが苦手だった。

一つの消失体験を機に、毎年毎年、その体験に苦しんできた。きっとこうして記憶として体内に残る苦しみを、ぎゅっと目を瞑るように臆病に持ち続けるのだと。そう思っていた。

 

 

人の記憶は更新されていく。新しい楽しさを知ったり、心躍る景色を見たり、沢山の人に出逢いながら。そしてそれらは積み重なっていくのだ。

 

どうしても忘れられない記憶は、人生に大切な記憶だと認識している。それが忘れたくて仕方ない記憶であれば、あるほどだ。どこかでその記憶と向き合い、過去として認識する日が来る。

 

 

生きるということは、精算の繰り返しだ。

 

どうしても許せないあいつを許したり、忘れられない過去を塗り返すように今を充実させ、記憶のトレードをする。私たちは生きているから。忘れてしまったり、思い出してしまったり、してしまうのだ。

 

 

 

この夏で、私は完全に分かった。

 

今を生きることが記憶から抜け出す最善の道だと。

 

 

仕事をしていてよく聞かれる。

 

「なんでそんなに前向きなんですか?」

「どうやったら過去のことを考えなくなりますか?」

 

前向きというのは、努力の結果だ。前を向けるように工夫してきたのだ。でも後ろを向いていいことを知っているのは大きい。マイナス思考に陥ってもそこから学ぶことはできる。自分の調子のリズムだって知れる。物事を前向きに捉えているのだって、悲観的だったあの頃があったからだ。何もかも、私のために起きたことである。

 

過去のことを繰り返し考えることについては、「まだ考える時期にいる」ということ。考えている時期は本当に苦しい。でも何をしても、どう工夫しても考えるということは、考え抜くことが必要なのだ。だからいつかちゃんとこの過去を精算できると信じて、安心して考え、悩み抜いてほしい。

 

 

 

今を生きて、今を見つめていたら、毎年苦しんだ過去の記憶は私の中でいつの間にか精算されていた。自分がもう大丈夫なんだ、ということを知れた瞬間だった。こう書くと、あっという間に清算されていると感じるかもしれない。これでも、8年かかっている。それだけ記憶と闘うのはつらいし、苦しいし、耐え難い。

何かの拍子で記憶から抜け出せる日は来る。今が苦しくても、何年かかるか想像できなくても、「変わりたい」と思えば人生は好転していく。全ては自分次第。

 

 

 

私の中の苦しみは、私を未来へ繋げてくれた架け橋のようだった。

 

記憶とともに生きていい。それはあなたの人生に大事な記憶だから。でも、苦しんだ分、いつかちゃんと精算される日が来る。

 

そんなことを伝えたかった記事です。

私の気持ち記録も兼ねて。

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。

良い週末を!

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CHIHIRO