Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

努力を認めること

 

ふつう、

仕事に着く前の学生は

自己分析や自分史に取り組むのだろう。

 

 

自分に何が向いているのか

自分は何ができるのか

自分がしたいことは何か

 

 

当時22歳、

就活生の私の脳内に

自己分析の文字はなかった。

 

大学4年間で一番頑張ったことといえば

自分とひたすら向き合うことだった。

 

向き合ったからこそ

自分の進むべき道はある程度

分かっていた。

 

やろうと決めすぐに行動した私は

大学4年の5月には就活を終えた。

 

 

今、私は

過去の努力を見つめる過程にいる。

 

やりたいことがわかっていた私には

自分の得意なことや

自分が発揮してきた能力、

もっとはっきり言えば

自分のしてきた努力について

認知し、深掘りした経験がなかった。

 

 

振り返れば、

沢山のことを頑張ってきたと思う。

 

素敵な仲間に囲まれることにも努力をしたし

大好きな音楽活動で個人でNo. 1を獲ったこともあったし

体調回復のためにいろんな勉強をして

それらを生活に取り込んだりもした。

 

 

昔から親友が言ってくれる言葉がある。

 

「あなたはいつもみんなのおかげと言うけど

あなたが頑張ったから今の結果があるんだよ。」

 

この言葉の意味がいまいちわからずに過ごしてきた。

でも今ならわかる。

 

「私、ちゃんと頑張ったんだよね。」

と胸を張って言える。

 

 

努力は誰のためにするのだろうか。

答えは絶対に自分のために決まっている。

 

私は確かに

自分のために努力をしてきた。

 

ただ一つ言えるのは

きっと頑張りすぎて麻痺していたところが

あったのだ。

 

力みすぎて余裕がなかった。

 

 

ラフ加減を身につけた私には

少しだが余裕がある。

 

余裕があると不思議だが

色んなことに気がつく。

 

頑張ってきたあれこれを

深掘りする気にもなれる。

 

 

 

私は私のために頑張ってきた。

自分の評価は自分でしてきた。

だから自分にはとても厳しい。

 

 

 

過去の努力を見つめて。

その努力から本来の自分が見出せれば

このプログラムは合格だろう。

 

自分に頑張ったねと言える人は

きっと他人の努力も認められる。

 

 

まずは自分の努力を認めることから。

 

私もあなたも

その時の最善で頑張ってきたのだから。

 

 

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 CHIHIRO