Chihi’Log

物語の主人公はいつだって自分だ

不器用な母と、不器用な私。

 

CHIHIROです。

色々なおもいが巡る夜。

私の母との関係について描いてみます。  

 

 

物心ついた頃から両親は共働き。

今でも忘れられないのは

外が真っ暗になっても誰も家に帰ってこず

私は部屋にあった漫画を何冊も何冊も

読み返し、読み返し、

「さみしい」

初めてその感情を抱いた小学2年生の頃。

 

中学に上がって

クラスの男の子たちが私をからかい始めます。

 

当時の私は学年でも目立つ方で。

そのイメージが強すぎて

クラスで起きている私の話を信じてくれる人は少なかった。

 

朝、私の椅子が何故か無い。

後ろから集められてきた教科書が頭の上から落ちてくる。

机に落書きされる。

みんなの前でひどいこと言われ。

上履きが何度も無くなる。靴も隠される。

 

そんな日々が続き、

私はついに死にたくなってしまった。

 

 

クラスの担任から母親に話があった。

 

母が、あまりに他人事のように聞いていたから

担任が母を怒ったとあとから聞いた。

 

担任からスクールカウンセラーのもとに

連れられていた私。

そこから思春期ケアのある精神科に繋がった。

学校は、3ヶ月間ドクターストップが出た。

 

精神科ではカウンセラーにお世話になった。

 

学校であったいろんな話を聞いてくれ

ロールシャッハテストも行った。

 

ある時カウンセラーが私に聞いた。

 

「学校であったつらいことは、お母さんに言えてるのかな?」

 

今までカウンセラーの前で一切涙を見せなかった私が

その一言で泣きじゃくったために

カウンセラーは「母親との関係」が一番のつらさだと

教えてくれた。

 

学校で色々あった日。

家には誰もいなかった。

 

どうしても話がしたかったから

深夜まで起きていた。

 

帰ってきた母親に言われたのは

「なんで起きてるの」

「早く寝てくれない?」

「あー仕事が増える」

 

ただ、ただ、悲しかった。

母親から「大丈夫?」と言ってほしいだけだった。

 

満たされないこころは

私の周囲に行ってしまう。

14才という年齢。

私の感情はもちろん周囲には重すぎた。

 

 

20歳になり、大人になった。

母と向き合ってみようと思った。

 

周囲の人からのアドバイス通り

「お母さん。もうこの話は終わり、って言わないで聞いて。」

と言ってから話を始めた。

 

ボロボロ泣いた。

中学生の頃私つらかったんだよ。

でもおうちに誰もいなかったでしょ。

だから…。

 

泣き続けて言葉が出ない私に母は言う。

 

「その話を今更してどうなるの?」

 

私の中で何かが崩れてしまった。

と同時にあることに気が付いてしまう。

 

母親もつらかったんだ、ということに。

 

 

去年、私は一人暮らしを始めた。

職場は実家にいる時より少し離れた。

「なら実家にいたらいいのに」と周囲に言われたりもした。

 

母親に求めすぎていた自分自身に気がつき

自分の心を自分で満たせるようになった頃のことだった。

  

両親と離れてからも「寂しい」と思うことがある。

これは、私の内面のものだったんだと気が付いた。

確かに、14才の頃の出来事は大きい。

けど、これは私の内面の考え方のクセ。

「寂しい」と思っている内面とは向き合わず

他(母親)だけのせいにしていたのは私なのだ。

 

 

長いこと、母親に愛されていないと思ってきた。

表面だけ家族っぽくて、中身がない家族に

「家族って、なに?」とずっと思ってきた。

だから子どもなんて育てられないなって

可愛がれないだろうなって

私は家族なんて築けないだろうと。

 

 

母親は愛情表現が下手っぴだなぁと思う。

でも私が周囲に言っていたのは

「お母さんに素直になれないんだよね。」

 

お互いが歩み寄れば変わることもあると今は思う。

私は母親に「大丈夫?」と言ったことがあっただろうか。

そう考えた時、心配してても上手く言葉にしてこなかった

自分自身に気が付き、反省した。

 

実家に帰って母親の料理を食べて

「美味しいなぁー。幸せだな。」

そう言ってしまった。(言ってしまった、と本当に思った。)

 

おかしいな、職場の手料理は

いつもそう言って食べてるのに

私は母親の前では言えなかったんだな、と

またも、反省。

 

 

母親も一人の人間。

もっと言えば親も人間。

完璧な人間がいないのと同じように

完璧な親はいないのだろう。

 

「寂しかったんだ。」

と母親に話そうとイメージをするだけで

私は涙が止まらなくなる。

 

ならば。

「今日もありがとう。」

それなら実家に帰ったついでに言える。

つらかった過去もセットにならない。

先日、そう言って手を振って実家を出た。

「またね、ありがとね。」

と母が言うもんだから

心の中がハッピーで満たされた。

よっしゃ!と思った。

 

 

誰かから見た自分は、しあわせに映るに決まってる。

誰かから見た自分の家族は、これまたしあわせに映る。

 

自分から見た誰かも、しあわせに映る。

自分から見た誰かの家族も、しあわせに映る。

 

それは、何も知らないから。

自分が通ってきた過去も、してきた努力も、

見えないものだから。

そりゃ羨ましく思うに決まっている。

ただ、羨ましく思ったところで状況は変わらないし

何も生まれない。

 

私は母親に

「こうしてほしい。」と思い続け

「こうしてほしかった。」と言い続けた。

求めすぎは自分のことも相手のことも苦しめてしまった。

 

自分と親は、違うということ。

親も親で、親としての人生を歩んでいること。

同じカテゴリーの中で生きていては、いけない。

 

 

自分の傷は自分で癒す以外方法はない。

誰かがアドバイスをくれたり

手助けをしてくれることがあっても

結局は自分が自分の心をどうしたいか。それに尽きる。

 

どうしても許せない人がいたとして

そう思っている限りは「人を許せない自分」と

過ごしていくことになる。

ちなみに、許せなくてもいい。

問題は

本当に許せない相手にあるのか

自分の心にあるのかを

問うことが重要ということ。

 

 

私は、母と自分を重ねてつらくなっていた。

だからこそ

愛を持って切り離した。

 

大切に思うからこそ。

大切にするために、一人暮らしを決断した。

大切にするために、境界線をしっかり引いた。

大切にするために、自分の内面は自分で受け止めた。

大切にするために自分が自分を一番愛してあげた。

 

他の人がなんと言おうと、

自分に必要なことはやっていくべき。

それに気が付いているなら尚更。

あとから自分をハッピーにさせてくれるはず。

 

どれもこれも最初はつらいし難しいけど

これは不器用な母と過ごした私が見つけた最善。

 自分の人生を生きるために必要だった最善。

 

私がこれからも母を大切にしていく

過程のなかで。

 

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2021.02.17

CHIHIRO